クルド人問題とは

クルド人問題とは

クルド人問題とは

時折ニュースで耳にする事がある「クルド人」。
日本人にとっては馴染みが薄く、聞いたことがある程度の方が多いのではないでしょうか。
このページではクルド人問題について説明して行きたいと思います。

クルド人とは、トルコ、イラク、イラン、シリアという中東の4カ国に分散して住み、自分の国を持たない民族です。
100年程前から、国家建設や分離独立を試みてきたが成功する事は無かったのです。

クルド人は第一次世界大戦前にはオスマントルコ帝国とペルシャ帝国に自治を認められていましたが、その後の中東民族の独立意識に押される形で帝国の中央支配に反発しました。
戦後敗戦国となったトルコは戦勝国の圧力でセブール条約を受諾。
同条約に基づきクルド人の独立を一旦は決定する。

しかし3年後の1923年ロシアに対する反共緩衝地帯としてトルコを利用したいという西側の思惑からローザンヌ条約を締結。
トルコに対して共和制の維持を条件にクルド人国家の独立反故を黙認した。

一方ソ連は第二次世界大戦中にクルド人を支援しイラン北西部にクルド人国家を建設する。
しかしイラン軍の手により僅か一年で国家は消滅させられてしまう。

クルド人は再び国家を失う事になった。
第二次大戦後の中東でクルド人はどの地域に於いても反政府の立場をとりそれが各国家の悩みの種になっている。
さらにこれらの5つの国家は敵対関係にあるものが殆どで敵地域に居住するクルド人を使って対象国に揺さぶりをかけるなどの道具に使っている。
これがクルド人の立場を一層厳しいものとしているのが現状である。

各国は機会があればクルド人を追い出したいと考えていて、クルド人は戦火の度に被害を受けて問題となっている。

近くでは2003年にアメリカによるイラク攻撃は、クルド人にとってまたと無い国家建設のチャンスでした。
アメリカやイスラエルが、イラクのフセイン前政権を転覆しようとする戦略は、湾岸戦争直後から行われていて、イラク北部のクルド人独立運動を支援する形で行われていたのでした。

クルド地域から、イラクの政権転覆を画策するものだったが、フセインのイラク軍に壊滅させられてしまう。
それによってアメリカはクルド地域からの撤退を余儀なくされてしまう。
その後、イラク戦争により、フセイン政権が転覆し、アメリカに協力していた勢力であったクルド人は新生イラク政府に参加し、優位な立場になる事になりました。
しかしクルド人の最終的な目標はイラクの一部になる事では無く、「クルディスタン」と言う、自分たちの国を創設する事にある。

フセイン政権転覆後、クルド人は前政権によってなされていた「アラブ化」を逆戻りさせるべく、山岳地帯に住むクルド人のキルクーク移住と、アラブ人のキルクーク追放を試みた。

クルド人が描いているシナリオは、アメリカの占領が終わるまでにキルクークを「クルド化」し、アメリカの撤退後、キルクークを含むイラク北部をイラクから分離独立して「クルディスタン」を建国し、キルクークの油田収入によって豊かなクルド人の国を作るというものです。

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